神道では出雲の大国主命と大物主命は同体とされ素戔男尊の子とも六世孫ともいう。もともと大和三輪の先住民の王であった大物主命が、大和朝廷に敗北し国譲りして出雲に流され、後に出雲大社として祀られたとする「神々の流竄」梅原猛説がある
平安時代の「口遊」に、大きい順に出雲大社、東大寺大仏殿、御所の大極殿であったとされ、大社はもともと96mありその後48mになった。これは、東大寺45mよりも大きい。2000年4月に巨大神殿跡が発見され、日本書紀と古事記の「国譲り」神話にでる大国主命が造った国土を天上の神に譲る代償として大きな宮殿を求めたエピソードを裏づける。近くの荒神谷遺跡から358本の銅剣、加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が発見されたのも、権威の象徴を放棄するために埋めたとみられる。 <「出雲大社と大国主命」「いなばのしろうさぎ」と「だいこくさまのお話」は国造りから国譲りにいたるエピソードが面白い> |