七支刀


− ものについて −
七支刀ななつさやのたちは、百済王から贈られ石上いそのかみ神宮に奉納されている。
刀身の両側に3本ずつ曲がった枝刃がでて剣先を含めると七つの枝刃で75?ある。
同時に献上された七子鏡(現存せず)も『七』が冠せられており、その意は百済王・肖古王しょうこおうが渇望して日本との国交が始まり最初に両国軍が戦い取ったのが任那地方の七カ国/加羅・南加羅・安羅・多羅・比自鉢・喙国・卓淳国だった。

石上神宮の主祭神は三柱ある。
神武天皇東征のときに力があったといわれる神剣・『布都御魂大神ふつのみたまおおかみ』を主神とし、素盞嗚尊スサノオノミコトが八岐大蛇を退治したときに用いた十握剣とつかのつるぎ布都斯魂大神ふつしみたまおおかみ』と『布留御魂大神ふるのみたまおおかみ』の三柱。

物部もののべ氏は石上神宮を累代奉祀してきた。物部氏は軍事を司り、この神宮は武器庫であったとの記録がある。
物部氏は天皇家が大和侵入以前から勢力を張っていた。十種神宝とくさのかんたから(布留御魂大神)を用い独自の「魂振りたまふり」と「魂鎮めたましずめ」の宗教儀式でその権威を保っていた。
物部の「物」の本義は魂であり、「魂振り」によって魂を奮い起こし「魂鎮め」によってその荒ぶる魂を慰撫した。この神事によって物部は武力をもって朝廷に仕えることができたのであろう。「もの」は真に霊魂であるが、大和三輪の大物主神おおものぬしのかみは古来日本人に恐れられた。「日本書紀」と「古事記」によると神武天皇東征以前に大和の大酋長・長髄彦ながすねひこ等が崇拝していた大物主神とは、文字通り偉大なる魂の持ち主という意味であろう。

大物主命が奉られている出雲大社伝によると、出雲のイツは「イツ」であり、モは「もの」である。要するに霊魂のことであり、イズモとは「厳霊」(おごそかな霊)という意味だ。

そして、武力の「物部もののべ」は「武士もののふ」の語源になった。
後世「もののふ武士」とほぼ同義語になるは、貴族に「さぶらふ」者から「さぶらひ」即ち「さむらい」に転訛した。

物部氏が詳しい。「物部氏七転八起の物語」から一族の壮大な流れが掴める。
*このページは、臣族についてふくらませたい。


  

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