八幡神社


全国にあまたの八幡神社があるものの、その4万社余りの総本宮は大分県の宇佐八幡神宮である。
 

八幡さまは武神の応神天皇の御神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて御示顕になったといわれ、神亀2年聖武天皇の勅願により御殿を建立奉祀した。皇室も伊勢神宮につぐ第二の宗廟、勅裁の社として御崇敬になっている。本殿には三つの御殿が並び、一之御殿には応神天皇、二之御殿には比売大神ひめおおかみ、三之御殿には応神天皇の御母で三韓征伐を行ったとする神攻皇后じんぐうこうごうを祀っている。
拝礼作法は、二礼・四拍手・一礼(普通二礼・ニ拍手・一礼)。四拍手は「四合わせ=幸せ」の意があるとか。この作法は、出雲大社と宇佐神宮だけ。

『品がいい、悪い』の語源
八幡大神は一品いっぱんに叙されており、品位ほんい制は元々親王を叙した位で、大宝元年701年大宝令により明冠をわけて一品から四品とし、明治2年まで続いた。位階は、臣下に与えられるものと区別する。朝廷は、天平以来八幡神を余程大事に扱っていたことになる。

聖武天皇は、東大寺建立の報告に赴き、称徳天皇の御世に道鏡を天皇にすべきかについて神託を求めた。皇室の重大事を皇祖神・天照大神を祀る伊勢神宮にいかず遠い八幡神宮まで行っている。

八幡神は、世界は八方に広がり季節ごとにそれぞれ八風が吹いて万物を生成している。

秦氏は、秦の始皇帝の三世孫武王が興したともいわれ、一族が全国に散らばっていき、八百万やおよろずの秦の神としてまつられたものか。その地が宇佐なのは、応神天皇・神攻皇后が北九州の香椎宮や宇佐を礎にしていたことによるのかも。

岩清水八幡宮 鶴岡八幡宮
京の、岩清水八幡宮は、もともとは男山の湧水をまつった社やしろだったところを、貞観元年(859年)奈良大安寺の行教律師が宇佐八幡宮を勧進して王城鎮護の社にしたのが起こりとされている。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、源頼朝の五代前の頼義が前九年の役で追討使として奥州に赴くとき、岩清水八幡宮を勧進して由比ガ浜に御分霊した。武士の棟梁となった頼朝は、源氏の氏神とし由比ガ浜からいまの地に移した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
万世一系とされる天皇家に三王朝交代説があり、祟神天皇と応神天皇と継体天皇で王朝が交代したとしている。また、祟神でなく、景行との説もあり、継体は応神の五世孫とされる。 天皇の死後におくられる諡号おくりなに「神」がつくのは、他に神話の世界に座す神武天皇くらいだ。

  
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