飛鳥


飛鳥の里は 聖徳太子が馬のたずなをひいている姿が目に浮かぶよう
草を食むにまかせ 里人の耕すをみやりながら のどかにたたずむ風景が似合う

    
甘橿あまかしの丘の西から 畝傍山うねび 耳成山みみなし 天香具山あまのかぐやま

香具山は畝傍を雄と
耳成とあひ争いき
神代より
かくあるらし
いにしえも
いかにあれこそ
うつせみも妻を争ふらしき
 中大兄皇子=天智天皇
あかねさす 紫野むらさきの行き標野しめの行き 野守は見ずや 君が袖振る
.                           額田王

紫草の にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも
.                    額田王と元夫婦だった大海人皇子=天武天皇(天智の同母弟)

上二つの歌は、天智天皇の面前でその愛人・額田王と大海人皇子が歌ったもの。
当事者三人の前であり、あやういといえば危うく、おおらかといえば大らか。
後に、
弟・大海人は天智の死の病床に呼ばれ「後事を汝に」託すといわれるも、
「出家して帝のために功徳を積む」と剃髪して吉野に隠遁する。
このとき諾といえば、大海人は誅されていた。
ひとは「虎につばさを着けて放てり」といった。
翌672年、天智の子・大友皇子を壬申の乱で戦い滅ぼし、天武天皇となった。

春過ぎて 夏来るらし白たへの 衣干したり 天の香具山
.                     持統天皇(天武の妃=天智の娘・顱野讃良皇女)

近くには神話にまつわる遺跡群が点在する...

石舞台古墳

月夜に狐が美女に化けて舞いを舞ったと伝わる。蘇我馬子墓説が有力。
入鹿の首塚飛鳥寺西傍の畑の中にある五輪石塔。
中大兄皇子と中臣鎌足に殺された蘇我入鹿いるかの首が葬られていると伝えられている。
(乙巳いっしのクーデター=大化の改新645年) 高句麗・新羅・百済三国の使者が朝貢する儀式の日。入鹿の剣を道化がおどけて取り上げた。
石川麻呂が上奉文を読むのが暗殺の合図だったが、刺客はひるんで何事も起こらない。そこに中大兄皇子が斬りつけ入鹿の首を飛ばした。
入鹿は聖徳太子の子・山背大兄皇子一族を死に追いやった。<雷丘>
飛鳥板蓋宮跡飛鳥宮の天皇(大王)の宮の跡地と伝わり、この宮で入鹿を襲った。
橘 寺 此処で聖徳太子が誕生したとされ、境内に人の心の善悪を表現する二面石がある。
川原寺飛鳥三大寺で、一時的に宮として代用した。
亀 石 
亀が頭を垂れうずくまっているような姿をしている亀石が、
西を向くと辺りが海のようになり大和が洪水になるという伝説がある。
酒船石遺跡<酒船石 亀形石造物>
酒船石は、酒の醸造に用いた説から命名されたが、2000年2月亀形石像物の出土により水を注ぐ湧水施設と解明された。
石組み遺構にある亀形と小判形石造物は、閉鎖された位置にあることから秘密の祭祀場とされ、
対する北部の飛鳥池遺跡が斉明女帝の「神仙世界を表現した庭園・饗宴場か神祭りの場」といわれる。
更に北には狂心渠たぶれごころのみぞらしい運河跡がある。
の俎まないた 雪隠せっちん
鬼が旅人を捕まえて上の俎で料理し食べた後、下の雪隠で用をたしたといわれる。
古墳の石室の一部がずれ落ちたとする説あり。
猿 石
「今昔物語」に登場する吉備姫王墓内にあるユーモラスな表情をしている石造。
欽明天皇陵の隣にある。
益田の岩船
天孫降臨伝説の岩船として語り継がれる謎の大石造物が、山の上に鎮座するのが不思議。
高松塚古墳石室・壁画に極彩色で四神が描かれている。
天武・持統天皇陵

661年、天智は百済復興のため唐と新羅の連合軍と対決の決意をする。
滅ぼされた百済の人質王子・余豊璋よほうしょうを王に即位して援軍を送る。しかし、朝鮮半島・白村江はくすきのえで全滅に等しい打撃を受けた。663年。
白村江の戦いの八年後、天智10年671にニ千人の捕虜を送還してきたことにより決着をみた。
推古陵古墳叡福寺


  
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