おわら風の盆

♪ 越中で立山 加賀では白山
駿河の富士山 三国一だよ
 歌われよ わしゃはやす ♪

この踊りには足音がない。
どこからともなく近づいて来て、
どこへともなく去って行くようだ。
町筋を影絵の動きを思わせながら進んで行く。
胡弓の音が遠くなり、やがて消えた。
胡弓の音も歌の声もなく、
坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、
踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいて来る。
「・・・ねぇ この世のものなの」
踊りが近づいて来る。
胡弓の音が耳に入り、歌が聞こえ始めた。
踊り手たちは目深にかぶった笠の下で、
やや斜め下を見つめながら、漂いつつすぎて行った。

(「風の盆恋歌」高橋治)      .
ハ゛ック♪「風の盆恋歌」       .



9月1~3日/おわら風の盆(八尾町)
二百十日の風が吹くころ、坂の町八尾は哀調をおびた胡弓の音が、夜の白むまで響き渡り、人々は踊りに酔い痴れ、小さな町はおわら一色になる。



おわらはそれぞれの町の伝統と個性を披露しながら唄い踊る。その町流しの後ろには、哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人、また1人と自然につらなりだす。闇に橙色の灯が浮かび上がり、誰もがおわらに染まっていく。娘さんの涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は、静かで優美で幻想的である。
生活の中から見いだした喜びを面白おかしく表現しながら、町を練り歩いたことが町流しの始まりという。その後「おおわらい(大笑い)」の言葉を挟んで踊ったことがあり、これが「おわら」の語源になったという。また一説によれば、農作物の収穫の時期に豊年を祈り、おおわら(大藁)とも。
おわらは他の民謡と同様に、はじめは唄だけだったが、そのうち楽器が入り、踊りが入ってきた。時代と共に踊りも変わってきて現在は、1.「豊年踊り」(旧踊り) 2.「男踊り」 3.「女踊り」(四季の踊り)と3通りある。
「宙返り」は深川踊りから、「稲刈り」はカッポレから取り入れられた。それまでの芸者の色っぽくて難しい踊りから、非常に単純で美しい「豊年踊り」に仕上がった。
はじめ「おわら」は芸者が踊り、町の娘は踊らなかった。「女踊り」は鏡町の芸者が踊り、「男踊り」は「甚六会」が踊ったという。娘を人目に触れさせなかったし、踊りに出すのはもってのほかだった。
 「唄い手」「囃子方」「太鼓」「三味線」「胡弓」のそれぞれがおわら節独特のハーモニーを奏で、「踊り手」はそれに合わせ町中を踊り歩く。

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