青年部卒業にあたって
1994年3月
お蔭様で青年部を無事卒業させていただくことになりました。
いままでいろいろな方々に、いろいろな場面でかかわりをもち、それこそいろいろなかたちでお世話になったことを感謝しております。ありがとうございました。
そもそも私は転勤族ですから、卒業という幸運にめぐまれるとは当初考えていなかったので、余計に感慨深いものがあります。
異業種の方々との交流は、本当に得がたい貴重な経験でした。サラリーマンの習癖で、つきあいはどうしても社内或いは同業種の方に片寄りがちですから、仕事を離れての青年部の皆さんとのおつきあいは自分の狭い領域を広げる絶好の機会でした。
まず、当初の活力探検委員会において福野の夜高祭に同道したことを契機に、会予定のほとんどの祭りに参加したことが、『富山の祭』に興味を抱くキッカケになりました。城端曳山、福野夜高、伏木けんか山、岩瀬曳山、おわら風の盆等を委員会として見学しました。ちなみに当時の私の所属は経営委でした。
以来、トヤマの主要な祭を見て歩くことにこだわりをもちつづけ、私達家族にとって富山時代の柱に仕立て上げました。
高岡御車山、よいやさ祭、やんさんま、八尾曳山、津沢・砺波・庄川夜高、太子伝祭、虫干法会、ねつおくり七夕祭、たてもん祭、稚児舞、つくりもん、むぎや・こきりこ、新湊曳山等。そして、新しい祭のちんどん祭、チューリップフェア等を数え始めたら切りがありません。
このことから平成3年度のおらっちゃ祭委員会からお誘いを受け、おわらを担当させていただきました。8月の「富山まつり」に「おわら踊ろう」を合言葉に3000人を集めようということでしたが、青年部としても初めての試みで、どのように仕組んで行くのかが分からない。結局、何をやっているのかも分らないままに終わってしまったような有様でした。しかし、祭をコーディネートしていく過程を肌で感じることができたのは貴重な体験でした。
Mでの頻繁な夜遅くまでの打ち合わせ、飲み会での二度と目を汚したくない思いに駆られる勇士のハダカ踊り、当日の天候等のアクシデント。ミスコン会場の特等席での腹を鼓に耳をつんざく花火、サンバの熱狂、そして城址通りに自分の担当したおわらの輪が形作られた光景は、いまも目に焼き付いています。何度かの打上会では、異様な盛り上がりをみせました。
また、いろいろな委員会にも良く顔出し、見聞をひろめるのに役立ったと思います。あらゆる分野にまたがる各委員会のテーマ、定例会の講演、研修、都市視察、そして、球技・バーベキュー大会やクリスマス会さらに夜の巷でのおもしろ談議。驚いたのは、サウナ忘年会での文字通りハダカのつきあい。等々、あげればこれまた切りがありません。
偶然ながらも、青年部卒業と同時に転勤で富山を離れますが、住みやすさ日本一のトヤマに暮らしたことを誇りに、トヤマの宣伝マンとなっていくことを誓って、感謝のあいさつとします。
iina